【劇団の話2】サムデイ イン ザ フューチャー

劇団の退団届を提出した。
退団理由には海外に行くのでと小さく書いた。

なんとなく、世界一周という言葉を使うことが嫌だった。
世界一周に行きますと人に伝えると、何か自分がすごいことに挑戦するようなリアクションをされて反応に困る。
自分のためだけに自分勝手に決めて、勝手にどこかへ行くだけなのに。
自分は特別な人間なんじゃないかと勘違いしてしまいそうになる。

劇団の先生には
「クールに見えて実は心は熱いんだな。椋ちゃんは」
と言われた。

これが無職になって西成で好きに2年位ふらふらします。
だったら同じように熱い男という評価が得られたのかなと、世界にステージを移しただけで上がる自分のスケール感に笑えてくる。
とはいえ、好意的な反応に対して皮肉まじりに捉えがちな僕を、前向きな言葉で送り出してくれるような人たちに囲まれて幸せだなと思うとともに、あぁ、もうここに来ることもここの人たちと顔を合わせることも数えるほどしかないんだな、と寂しさが込み上げてくる。


僕が劇団ひまわりに入ったのは2021年の10月だった。
「お前は感情が淡々としすぎてるから、もっと熱くて心に訴えかけるような商談ができるように劇団に応募しといたから」
と同年の8月ごろに社長に言われたことが演劇の世界の扉を叩くきっかけとなった。

コロナ騒動の真っ只中で海外旅行がいつ行けるかわからないこととハマりにハマった彼女に振られたことが原因で特にやりたいことも過ごしたい相手もいなくなった僕は言われるがままにオーディション(と言ってもほぼ全員が合格するような簡易的な)を受け、20万ちょっとという入団費を支払った。

そこで待っていたのは、恥をかくか、大恥をかくかというその日かく恥の大きさは小なのか、中なのか、大なのかという傷の大きさをいかに少なくするかという試練の日々だった。
体育会の部活に所属していたのに大きな声を出すのが苦手だった。
叫んだり、笑ったり、悲しんだり、普段の日常ですら感情表現が苦手な自分が、与えられた台本やシチュエーションによって感情を使い分けて表現することは容易なはずがなかった。

しかも同じレッスンを受ける人達は俳優や声優を目指し演技を仕事にすべく本気で取り組んでいる。
手を抜いてその人達のレッスンに水をさすようなことはできなかった。
ドラマや漫画のように、自分の想像し得ない才能が開花することはもちろんなく、日々必死に取り組み、下手ながらも休むことなくレッスンに通った。

気づいたら1年半が経っていた。
毎週今日はどんな恥をかくのだろう、自分がやりやすくて声を張らない役回りがいいなとか後ろ向きな考えで通っていた日々はもうない。
即興演劇で思いもよらないアイデアが出てきたり、過去の自分では恥ずかしがって避けていた表現ができることに喜びを感じるようになっていた。
下手なりに自分の成長を感じられ、もっとうまくなりたいという意欲まで溢れてきていた。
そして何よりも夢に向かって本気で取り組む人たちが醸し出す空気感が心地よかった。
それは自分がサラリーマンという生活の中で、忘れかけていた何かそのものだった。

退団まで残りのレッスンは4回。
限られた時間をかみしめたい。
なんとなく通うことになったこの場所は僕の人生にとって忘れられない大切な場所になった。
ここで過ごした時間や出会った人に感謝したい。
単純に良い日々だったというだけではなく新しいチャレンジをするきっかけをくれた。

夢を持ってそれに取り組む。

子供の頃は純粋に追うことができていたけど、いつの間にか諦めていたもの。
自分はまだこれからだ。
別れは寂しいけれど、それぞれの道の先でまた出会えたらいいなと思う。

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