【劇団の話4】サヨナラはハグとキスで誤魔化せない

合コンの後、女2人で飲み直そうとお店を移動しようとすると1人の男が俺も、と言ってついてくる。
何回も2人で飲みたいからとやんわり断っても諦めない。
結局、引き離すのに30分もかかった。

そんな彼を
「サヨナラが苦手な人だったんだね」
と形容していた女友達のことをふと思い出した。

劇団の全てのレッスンが終わった。
3月は1年のレッスンの締めになる。
4月からは新しいクラスに進む人もいるし、他の劇団に移籍する人もいる。
もちろん僕みたいに演劇自体から卒業する人もいる。
みな、それぞれに新しいスタートが待っている。

最後のレッスンが終わった時、何か特別な感情が湧いてくるということはなかった。
それでも少し時間が経って振り返ると、やはり特別な時間だったんだなとじんわり胸があたたかくなる。


先生からは手紙を貰った。
手紙を貰うのは4年前に出会った台湾人留学生の女の子以来だ。

手紙って良いなって思う。
ラインでものすごく長文が来ると若干引いてしまうし何かとてつもなく重い人に感じてしまう。
その点、手紙というのは長い文章を書くことが前提な気がして、少々むずむずするような気恥ずかしい文章も受け入れやすい。

なんなら、手紙を開いて
「またね。」
だけだったらいや俺に対する感情はそんなもんなのかよ!とツッコミを入れてしまうまである。
それに、その便箋や封をする時に貼られているシールを選ぶという行為にその人の時間が使われていることが想像できて、特別な想いを抱かずにはいられない。
どんな気持ちでこの便箋を、シールを選んでくれたんだろう。
貼られた地球儀と飛行機を見て改めて自分が世界一周に出ることを確認する。

本当にもうすぐだ。

こんな時、自分は少しばかり歳をとったなと思う。
大盛り無料で並盛りを頼むことが当たり前になった時でも
行列に並ぶのをお金で解決したいと思うようになった時でも
腰を振るのに疲労してハグやキスで休憩をとって誤魔化すようになった時でもない。
人との別れが迫っているまさにこの時、僕は自分の過ごしてきた時間の長さに感傷的になる。


僕はサヨナラが苦手な人だ。
心の中で思っていることを人に伝えることがなかなかできない。
表情や口に出すことが恥ずかしい。
一人一人に伝えたいメッセージや感謝の気持ちを
「じゃあ、元気でね」
とぎゅうぎゅうにまとめてしまう。
スーパーの袋詰めみたいに。


明日も明後日も
じゃあ、元気でねと僕は言うだろう。
3月はたくさん袋詰めをした。

1000年後の古文のテストで
下線部、「じゃあ元気でね」に込められた筆者の想いを答えよ
という問題を出して欲しい。

たぶん、この気持ちは東大生でも答えられない。

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