【ガールズバーの話12】家に帰るまでが遠足ならば、家を出る前も遠足だよね

横でゆなちゃんの寝息が聞こえる。
あのガールズバーでの日々が幻ではなく、自分の人生に確かに存在していた時間であったことを証明してくれる。

3月31日にガールズバーでの最後の出勤を終えた。
お別れに用意したガトーフェスタハラダのお菓子をベリー味が苦手な女マネージャー(鬼)が食べられなかったことが笑えた。
最後の最後まで僕らはうまく噛み合わない。
それでも半年以上、ほぼ毎日のように顔を合わせてお店でのいろんなシーンをともにしてきた彼女はガールズバーでの日々を語る際には欠かすことのできない存在で、あの激しい喜怒哀楽すらも今では愛しく思える。

ゆなちゃんと付き合っていることがバレたら、どんな表情を見せるのだろう。
たぶん、鼻の穴は膨らんで、目尻は吊り上がって、咆哮は1000キロ先まで届くんだろうな。
その答え合わせは一生することはできないけれど。

お別れは人間関係の通信簿を渡されていると思う時がある。
過ごした時間のわりにあっけないこともあれば、思いがけず胸にくるような言葉を受け取ることもある。

何かを与えたと思っていたのに与えられてなかったり。
何もしてないと思っていたのに与えていたり。

人の感情って本当にわからない。


相手の気持ちを推し量る事はできずとも、僕の中にあるのは出会った人たちへの感謝の気持ちだ。

結婚考えていた彼女に振られて前職場にいるのが嫌になって今の会社に就職してなかったら
社長がノリで応募した劇団に入ってなかったら
通勤電車に揺られて、金太郎飴みたいな日々から抜け出したくて世界一周を考えてなかったら
家賃を節約するために天王寺の元カノの家に転がり込んでなかったら
追い出されて路頭に迷った時に知り合いの事業所が寺田町になかったら
世界一周の資金集めのためにガールズバーでバイトしようと思ってなかったら


どれか一つが欠けていたら知り合えてない人やできてない経験がある。
意味のないと思われたある日が知らぬところで折り重なって今に繋がっている。

たぶんTwitterで見たと思うんだけど
「世界一周は準備の段階から始まっている」
という言葉を思い出した。

本当にそう思う。
この1年は世界一周を考えなかったら有り得なかったことに溢れている。

人生は出会いと別れの連続だ。
それは世界を旅しなくても同じ。

南森町の会社は今日も数字を上げた者が何よりも正義であり続けるし
江坂の劇団は今日も夢と現実の間で若者が奮闘し続けるし
天王寺のガールズバーは今日も青春に敗れたおじさんのリベンジを受け続ける。

僕の不在を受け入れて世界はまわっていく。
みんなの中から僕が薄れていくのは少し寂しいけれど、そこから離れることを選んだのはまぎれもなく僕自身だ。

約10年ぶりに名古屋に帰ってきた。
あと1ヶ月後には出発だ。
これからどんな出会いと別れが待っているのだろう。

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