【センチメンタルな話5】会津若松からマンハッタンの摩天楼は見えない

 鶴ヶ城が燃えている
との叫び声を聞いた時、どれだけの絶望が彼らを襲ったのか想像ができない。

そこが自分の全てで自分の中心。
それが無くなることは全てを失うことと等しい場所。

10代の時なんて学校が全てだったよなと思う。
先生に怒られたら、宿題を忘れたら、クラスの誰々ちゃんに嫌われたら
今では一笑に付してしまうような些細なことで悩み抜いていたあの頃。
世界がこんなにも広くて他にいくらでも逃げ道があるなんて全然知らない頃。


16歳、17歳で構成された白虎隊士にとって会津若松の街は全てだった。
街の象徴である鶴ヶ城の崩落は彼らにとってこの世の終わりのような光景だっただろうと思う。
新政府軍の新型銃器の前になす術なく敗走し、命からがら会津若松の街を一望できる飯盛山まで辿り着いた。
ずぶ濡れで泥まみれ、血が滲んで身体中に痛みがある。脚を引き摺る仲間の呻き声も聞こえる。
満身創痍だ。
そしてやっとの思いで辿り着いた先には帰る場所が燃えている景色。
20名いた隊士たちは激論の末、自刃することを決意する。
「このまま生き、捕虜となって君主に迷惑をかけるのならば、潔く自刃し武士の本分を明らかにすべし」
と全会一致で少年達は自らに刃を突き刺し自決した。


僕はいま、その地にいる。
目の前には会津若松の街、少し遠くに鶴ヶ城が見える。
鶴ヶ城が燃えていると勘違いして悲劇的な自決をしたのか、それとも実際に燃えていた城下町を見てもう勝ち目はないと判断して武士らしく潔く自決したのかは今となってはわからない。

正直、僕には武士という価値観がわからない。
その当時を生きる者ではないので完全に理解することは到底できないと思う。
自分だったら自ら刃を突き刺して死ぬなんて絶対にできない。

ただ、ここしかないと教えられて、ここを守るために生まれたと心から信じて、その拠り所を失った心は正常を保てるだろうか。

今まで生きてきて1つのコミュニティが嫌になった時、僕を繋ぎ止めたのはそこじゃない何かの存在だった。
ある時は漫画やアニメが、時には彼女の存在が、職場が嫌になった時はフットサル仲間やガールズバーの女の子達の気楽さが助けになった。
そして、インターネットやSNSによって世界は無限に広がっているということが当たり前の時代に生まれたことも幸いした。

決して全否定されない。
どこかしらに自分を肯定してくれる場所がある。
そんな時代に生まれた僕だからこうやって生きのびて来れているのかもしれない。
無職になって世界一周することさえ肯定してくれる人達がいるわけだから。

今と昔の違いは
「選択肢の数」
なのかなと思う。

彼らにとって代え難い唯一無二のものが消えていく。
その当時の世界にも、彼ら自身の中にも選択肢は自刃しかなかったのかもしれない。

もし、当時の世界にSNSがあったら彼らの議論は自刃で全会一致しただろうか。
会津若松の街は周囲を大きな山に囲まれている。

誰かが彼女とのディズニーランドでのツーショットを投稿したら
誰かが100年以上の歴史があるマンハッタンの摩天楼を投稿したら
誰かが無限に広がるアフリカの大地を投稿したら

彼らは山の向こうに選択肢を見出したかもしれない。


線香に火をつけて白虎隊士のお墓に手を合わせる。
ただ手を合わせて目を瞑った。
言葉は何も浮かんでこなかった。
曇天で少し風が強い。
もう少し早い時期に来たら満開の桜が見えたかもしれないと思ったけれど、この街には散りゆく桜がよく似あった。

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